【MBTI/16パーソナリティ】診断結果は変わる

MBTI_16パーソナリティ_性格は変化する MBTI(16パーソナリティ)その他

性格は変化するのでしょうか?

私は性格は周りの環境や自分の意志によって変化すると考えています。ここでは私の性格の変化を紹介し、性格が変化した経緯と原因について紹介します。

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診断結果は変化します

私が初めて16パーソナリティ(MBTI)の診断をしたのは大学4年生の頃です。

理系の学生だった私は研究室(A研究室)に配属されたばかりでした。その時初めて診断をしたのですが、最初のパーソナリティは領事官(ESFJ)でした。

その後、冒険家(ISFP)になり、M1(大学院1年)になると巨匠(ISTP)に、そしてM2で起業家ISTP(ESTP)、社会人2年目で討論者(ENTP)、社会人4年目で起業家(ESTP)と変化してきました。

①: 領事官(ESFJ) 大学4年(前半)
②: 冒険家(ISFP) 大学4年(後半)
③: 巨匠 (ISTP) 修士1年
④: 起業家(ESTP) 修士2年
⑤: 討論者(ENTP) 社会人2年目
⑥: 起業家(ESTP) 社会人4年目

これらの変遷を4×4のボード(別記事にリンク)で追ってみると非常に分かりやすいです。

どこかへ大きく変化することはなく、連続して変わってきたことが良く分かっていただけると思います。

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ライフイベントとの比較

性格が変化する時というのは大体の場合、大きなライフイベントがあると私は思います。

受験、転校、転勤、就職、転職、結婚や出産など、人生の大きなライフイベントで性格が変わることはご想像いただけると思います。

そこで、私の性格の変化をライフイベントと照らし合わせてみたいと思います。

①領事官(ESFJ)から②冒険家(ISFP)へ

このとき、私は研究室という環境に馴染んだことで変化したのだと思っています。

研究室配属前の私は、計画的に試験をクリアし、成績上位者を取得することを目標に3年かけて努力していました。つまり、計画的(J)に物事を実践していたわけです。

しかし、研究室という場所では、計画だけでは物事は進みません、新しいものを生み出す為の探索的(P)思考が要求されるわけです。

さらに、研究室では最も下の学年ということもあり、少し気弱になってしまった部分もあると思います。これが外向的(E)から内向的(I)になった原因だと考えています。

①から②への変化

②冒険家(ISFP)から③巨匠(ISTP)へ

研究室という場では、他にも論理的(T)に人とコミュニケーションを取ることが要求されます。

それまでは人と会話する時、相手の発言に対して共感を示すような感情的(F)スキルが円滑なコミュニケーション方法だったわけですが、研究の内容を話すときは経緯や状況を論理的に伝えなくてはなりません。

少しずつ、エンジニアのプロへの道を歩み始めた証拠でしょうか笑

②から③への変化

③巨匠(ISTP)から④起業家(ESTP)へ

これは明らかに就職活動の影響だったと思っています。

私は元々良くしゃべるタイプでしたので、就活中は色々な人と話して情報交換をしたり、OB・OGを訪問したりしていました。ですので、内向的(I)だったのが不思議で、外向的(E)に戻ったといった感じでしょうか。

③から④への変化

④⑥起業家(ESTP)と⑤討論者(ENTP)

この起業家と討論者の変化は目的の有無だと思っています。

就職して2年目、人生の先が見えてきた頃でした。

大企業では20年先の自分の姿が描きやすく、隣にいる上司がそのまま自分の将来の年収であり、働き方であり、生き方を表しているケースが多いと思います。

私は、それがすごく残念で「ここから抜け出したい!」「上司とは違った人生が良い」と思いました。

すると、現実的(S)な考え方から少し外れるわけです。何か変わりたいという夢を描く考え方といいましょうか、直観的(N)な捉え方をして、あれでもないこれでもないと考えるわけです。

4年目になると、試行錯誤の結果、大体の目標が決まったため、再度現実的(S)な考え方を基に努力した(している)わけですね。

④から⑤、⑤から⑥への変化

まとめ

いかがでしたでしょうか。
今回は私の人生と性格の変遷を追いかけてみました。

ライフステージに合わせて性格が変わるということを感じ取ってもらえたならば幸いです。

そして、私は逆も可能だと思っています。なりたい自分を描けば、その性格になるように環境を変えればいいのでは良いのではないでしょうか。例えば、外向的な人になりたいのであれば、もっと飲み会に参加するとか多くの人と関わる場に身を置くなどでしょうか。

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